生き延びるための精神病理学

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近年の異世界系小説に見る超越と脱出:5

 

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 脱出と超越について話をしてきた.日本の伝説、異世界系小説、解離.それらの脱出願望を見出し、文献を引用しつつ私なりに概説を試みた.最後にもう一つ脱出方法を取り上げ、試論を終えようと思う.

 

 思いつく方法は自ら命を絶つこと、自殺を考えざるを得ない.人には生における耐え難い苦しみや辛さから逃れるため、死を希求する動きがある.また時勢や状況によって死を選択しなければならないこともあった(生きて虜囚の辱めを受けず).

 自殺という言葉を様々な立場から確認してみる.世界保健機関(WHO)によれば「自殺という行為は単一の原因でなく、多くの要因が重層的に関わり合うことで帰結する現象」とする.なお、倫理学者でもあるI. Kantは「自殺は第一に意図的に引き起こされねばならず、第二に当事者自身の行為の直接の結果でなければならない」.一方、近代の自殺研究の嚆矢であるÉ. Durkheim(デュルケーム)は「死が、当人自身によってなされた積極的、消極的な行為から直接、間接に生じる結果であり、しかも、当人がその結果の生じうることを予知していた場合を、すべて自殺と名づける」という.

 定義はともかく、自殺は死への脱出と超越と言える.一つとして帰還はない.……ないのだが、転生として新たな生への帰還を成し遂げてしまうことがフィクションではある.実は前に述べた異世界系小説における転移の方法に、「自殺」がかなり多い.かなりといっても全体の何割が、といった概数は生憎示すことはできない.刻一刻と作品は生み出されているからだ.しかし、ランキング上位作品や、完結済みの作品において自ら死を選択するという手段は容易に認められる(メディア化された作品に自殺からの転生は見つからなかった).現世での主人公はブラック企業社畜として疲労困憊している描写が散見される.悪辣な上司、連日常態化した徹夜勤務.このような状況が続けば大抵の人間は、抑うつ状態、うつ病に陥る可能性は十分にあると考える.過労が自殺のリスク因であることは知られた事実だが、こうしたこととは相反して、上記の記載が見受けられるということは、作者自身の現実を部分的に投影しているとして捉えても考えすぎではなかろう.作者らが自殺を企図したかどうかは明らかではないが、少なくとも自殺念慮が消極的にせよ存在していたのではないかと私は考えてしまう.小説を書く行為ができるならばある程度は生へのエネルギーがあるだろうと思うので、抑うつ状態にしては軽度なのかもしれない.だが自殺を通した異世界転移は歓迎し難い.なぜかと問われれば、もし仮に自殺による転生の物語が完成度が高く好評で、大衆の支持を得たとする.ギャルから高級官僚まで好評だ.ややもすれば自殺という行動に関して一定の誤解が生じる恐れがある.んなわけねーだろポンコツぅ、と思うかもしれないが、どうかんがえてもありえねーだろ、ということを人間は平気でしてしまうし思い込んでしまう.人類史を振り返れば明らかだろう.竹槍を投擲して鋼鉄の飛翔体を落とそうとする帝国があったような.

 自殺という行為だけでない.その要因たる社会構造を暗に肯定しかねないと考えるからだ.私は少ない経験ながらも若い人から高齢の方まで、悲痛な面持ちで診察室を訪ねてくる患者さんを相手にしてきた.皆職場を契機にうつ病適応障害といった診断名になる.どなたも口を揃えて言うのは、休むにも休めなくて……私がいないと……仕事がなくなってしまったら……

 そういった言葉はとてもとても良くわかる.それぞれの言葉に対して私なりに説得力のある説明を試みたつもりだが、それではあまりに時間が足りなかった.一人の診察にかけられる時間は極めてわずかだった.たかが5分ではわずかな時間に何かしたくても神の言葉でない限り、その人を健康な世界へ導き勇気づけることは私にとってはあまりにも難しい.社会資源を目一杯使おうという言葉は聞こえがいいが、私のいたところでは資源は足りていなかった.だが「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」と言われているようで悔しくてたまらなかった.抗うつ薬をいくら出しても真のリカバリには遠いことは目に見えていた.如何に数を捌くかが求められた.私はその職場を離れることになった.今考えただけでも吐き気がする.そして私自身の不甲斐なさと力量不足があったことを認めざるを得ない.私は今でも申し訳ない気持ちでいるし、何か他にできたのではないかとずっと悔やんでいる.恥ずかしい話だが、私は電話相談や面接で「死にたい」という患者さんに「自殺してはいけない理由」をうまく説明できたと思ったことがないことをここに告白する.どう説明したらよいかかれこれ考えているが未だに名案が浮かばない.誓ってこれまで一度たりと手を抜いたことはなかったが、職業人として失格なのではと思うこともある.

 疾患は人の病的な要素を抽出して還元したものを言うだろう.血圧が高い状態で臨床的に問題なものを高血圧症、血糖値が高く様々な合併症を引き起こしうる病態を糖尿病と言ったりする.それはわかる.だが、月の残業時間が120時間以上で休日出勤が当たり前で、給料は良くないし、残業手当はでない.そんなうちに睡眠不足で慢性的に疲労があって、不安や焦りもあるし、死にたくて……そんな貴方はなんと適応障害です!社会に適応できていないから適応障害です.そんな馬鹿な.私はそういう考え方を好まない.社会構造を吟味せず個人の適応能力にゆだねて診断を下さざるを得ない現在の診断基準や社会のあり方は問題だと思う.隠さずに言えば社会の方に病理の比重が大きく存在していると思っている.だが、日本の社会構造を容易に変えられるかと問われると、そうはうまくいかない.これから私自身、社会学、労働研究、日本人の文化的背景をさらに学ぶ必要があると考えている.

 よって私は安易に自殺をしてほしくない.それがフィクションであっても.自殺をさらっと容認する社会はあってはならないと思う.表現の自由に則って好きなように作品を作るのはいい.沢山創作されるべきだ.だが、懸命に魂をすり減らしてもなお生きようと必死でいる方々を貶めるようなことは厳に慎まねばならない.かといって私はなろう系の一部の投稿者を批判するつもりは毛頭ない.ただ一つ言っておくと、自殺によって転生した後、ケロリとして異世界になじむ作品の描き方は葛藤を表出する人間らしくない.自殺を念慮するとき、その人には凄まじい死への欲動と生への渇望(タナトスとエロス)が入り乱れる.相反する考えが思考を支配するほどの強烈な葛藤が生じる.そんな葛藤を経て死を選んだはずの主人公が転生したとしたら、「なぜ俺は死ねなかったのか」と深く絶望しても不思議ではない.

 結局、脱出は困難である.私は論考を書き進めながら、どんな結末になるかは私の筆任せにしていた.まぁ楽観できる結語を期待するのは難しい.一応、一時的な脱出は可能だ.旅行は脱出だが、死ぬまで旅行を続けることは現実的でない.帰還することが前提になる.亡命という手段はあるが、日本人はほとんどその選択肢をとらないだろう.もう一つは空想へ脱出すること.しかしこれは虚構にすぎず儚いものだ.それでもよければ脱出してもいいが、現実への諦念が色濃くなる.解離.これは条件付きの脱出だが、尋常ならざる苦痛が伴う.例外的な手段と考えるべきだ.そして自殺.究極の手段.たった一度きり.すべてが終わるが、本当にすべて終わる.苦しみも悲しみも消える.だが、かけがえのない存在や生きていたとき感じた正の感情、思い出、何もかも消えてしまう.そして死を考え続け、選ぶことはとてつもなく辛い作業だ.残された人にとっても.

 近年の異世界系小説に見る脱出と超越の話はここまでになる.あまりうまくまとまらなかったが、私が長く考えていたことを文章にすることができたのでひとまずほっとしている.言葉足らずのところや言い回しがくどいところもあるかもしれない.そうした批判は真摯に受け止めたい.こうして文章を書くことで私はもっともっと学ばなければならないことに気づく.途方もなく.さぁ、どこから勉強しようかという気にもなる.私の力不足は勉強への動機づけの一つとなっている.

 ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました.皆様の寛容さと忍耐強さには脱帽です.亀吾郎法律事務所は今後も特集を組んで、様々なテーマに果敢に挑んで行きたいと思っています.ご声援よろしくお願い申し上げます.