生き延びるための精神病理学

精神病理学を主体に綴る人文学系のブログです

月夜に舟を漕ぐ

今週のお題「お気に入りのTシャツ」

 

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お気に入りのTシャツ


 

 私はあまりTシャツを買わない.買うとしても比較的安価なものがさらにセールで売られているときくらいだ.どちらかというとポロシャツのほうが好みなのでポロシャツのほうがクタクタしている.

 私のTシャツは数が少ない分、私から戦力外通告を受けて雑巾になることは殆どない.平時はワイシャツとユニクロのエアリズムが活躍する一方、Tシャツは休日出勤となる.もっぱら家でだらだらするときに着たり、夏の寝間着代わりになる.

 どれも少数精鋭揃いで、皆ベテランの風格が出てきている.大変誇らしいことだ.その中でも選りすぐりのTシャツが「お気に入りのTシャツ」である.

 

 いつ買ったのかは忘れてしまったが、もしかすれば10年くらい前かと思う.それは言い過ぎなのかもしれない.バナナ・リパブリックというブランドで、アウトレット価格で安く売られていた.グレーの生地で綿とポリエステルが6:4の比率だからかふにゃふにゃしている.まるで私みたいだ.Tシャツの正面に絵の具で描いたかのような黄色い丸と緑の三角、その真下に群青の一文字がベタッと太く配置し、さらに真下に2本、真っ赤な直線が同じ太さで水平に描かれている.変なTシャツだなと思うかもしれない.実はもう少しだけ変なのだ.

 

 群青の水平線の左端にはカヤックを漕ぐ二人の人物が小さく描かれている.各パーツを見てもよくわからないのだが、全体を見ると、月夜に舟を漕ぐ二人組という構成になっているのだと気づく.黄色い丸は満月で、緑の三角は夜の背景を、群青の水平線は水面を表現していたというわけだ.すると、2本の赤い線はもしかして水面に映る月明かりを示しているのかな、なぜこの構図をデザイナーは思いついたのかな、という想像力が働く.

 考えすぎなのかもしれない.確かに月にしてはでかすぎるし、夜景が緑というのは無理があって、月明かりの反射が赤く見えるのはアヤシイ感じがする.

 

 そう、アヤシイのだ.そんなに高価でもなくアウトレット価格で売られている商品にしてはアヤシクて少々危なっかしい.なぜそんなものを買ったのかと訊かれれば、気に入ったからだ.丸、三角、線.単純な幾何学模様だが、カヤックが添えてあるだけで、私の好奇心をくすぐる.なぜ月夜を漕いでいるのだろう、どこに向かっているのだろう、二人はどんな人なのだろうと.

 

 投影法という心理学検査がある.何かを見たとき、私達は無意識に自分の心をそれに映し出すそうだ.特にロールシャッハテストが投影法として知られている.左右対称なインクの染みを見せて被験者にどのように見えるか答えてもらう仕組みだ.人によってコウモリだったり、お化けだったりする.これは世界中で行われていて、心の動きを調べるのに大きく貢献しているという.

 

 このTシャツが心理学検査だと大げさなことをいうつもりはない.しかし、私達は何かを見たときに気持ちが揺れ動く.それが安物のTシャツだろうと高級な仕立物だろうと.無地なTシャツもあれば奇抜で挑発的な図柄もある.何を見てどのように感じるかは人さまざまでまさしく十人十色だ.服を買うことが楽しいのはきっと知らず知らずのうちに自分の気持ちと照らし合わせているからではないかと思う.私はあまりTシャツを買わないからこそ、新しく買うときはじっくり選ぶようにしているし、決めるまでの瞬間を実は結構楽しんでいる.

 

 さすがに「お気に入りのTシャツ」はかなりくたびれてきた.しかしこれを着て出かけることもある.私がこのTシャツを買って一番うれしかったのは全く同じTシャツを着ていた人と偶然同じ電車に乗り合わせたことだった.邂逅は一瞬だった.その人がなぜ同じものを選んだ過程はさすがにわからない.けれどもその方が何年も前の製品を今でも着ているのは事実だった.私と同じくしてこのTシャツのどこかしらに惹かれたのかと思うと、自然と心が弾む.貰い物かもしれない.だとすればなぜ貰ったのだろう、あげた人はどうして入手したのか.なぜその日に着ようと思ったのだろうと.これだからTシャツ選びは楽しくて仕方がない.

 

 まだまだこのTシャツには現役でいてもらわないと.もう少しだけよろしくお願いします.