生き延びるための精神病理学

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近年の異世界系小説に見る超越と脱出:3

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 散々話を引っ張ってきたが、私の答えはやはり異世界である.そして「小説家になろう」系でブームとなっているのは「異世界」を下敷きにしたファンタジー、いわば剣と魔法の世界だ.作品によりあらすじは異なるが、典型はこうである.主人公は凡庸な青年(高校生から社会人)である.退屈な学校に通う、あるいは不登校、引きこもりであったりする.無職やニート、社会的に弱い立場として登場する.社会人であれば職場はブラック企業であったり多忙を極め憔悴しているのだ.自分の境遇に辟易し絶望しかけている.自分の属する各々のムラ社会の統制に対してなすすべもなく窮屈な日常を繰り返す.そして不意に非日常へ超越する.

 その方法は数パターンに及ぶ.起床すると異世界だった場合、不慮の事故にあい意識を失ったものの覚醒すると異世界であった場合.パソコンのオンラインゲームのさなか居眠りし、そのままゲーム世界に転移する場合、あるいは何者かの意図によって異世界に引き込まれる場合である.転移の理由は作品でほぼ類似する.主人公にとって思いがけないタイミングであること、楽しみのない日常だが、決して主人公は脱出を願ったわけではないこと(脱出願望はおそらく作者の意識下で存在する).現実世界の描写はあまり詳しく語られない.

 超越すると、おおよそ場所は現代日本ではない.そこにはムラ共同体の窮屈な制約はない.中世からルネサンス期の西欧を念頭においたであろう、君主制の文明が存在する大陸や広大な土地が広がる.王が統治し、地方を貴族や領主が管理、市民は集落や自治体をつくって狩猟・牧畜・農工に勤しむ.ギルドのような徒弟制度もある.よってアニメーションでは洋風の建築や近代以前の洋装で描写される.ヒトとは異なる種族が存在することが多く、その種族は民話、神話の他、J. R. R. Tolkien等の作品の影響を極めて強くうけたであろう、エルフ、ドワーフ、オークといった種族が代表的で、龍や巨人といった伝説に登場する架空の生物も重要な役割を果たす.H. P. Lovecraftの影響も大きいだろう.

 物語における自然科学や物理現象は地球と似ているが、多くの作品で「魔法」たる超能力が存在し、現代科学技術の代替を成す.人々は大抵、「魔王」率いる勢力と敵対し、紛争が絶えない.しかし切迫感を感じない描写が多い.人々は剣や槍、斧を装備し、遠隔攻撃は弓や投石砲、カタパルトを用いる.火薬は発明されていることもあるが、マスケット銃やライフリング機構は開発されない.科学技術は主人公の助力なしに発展せず、魔法が戦いの主力である.魔法は教育機関で習得する設定がなされるか、主人公の才能によっていかようにもなる.平凡な主人公は転移してまもなく「勇者」や「英雄」として転生する.しかし才能の発露に無自覚であることが多く、作者の現世での劣等感が見え隠れする.(メアリー・スー的著述)主人公は魔王と対立し、討伐が目標になることが多い.この流れは陳腐化してしまい、全く別の展開になることも増えている.

 これら背景はゲーム、「ドラゴンクエストシリーズ」(以下ドラクエ)の影響が極めて強いだろうと私は推測する.基本的にドラクエは現実における中世に近いであろう世界が舞台だ.ドラクエはゲーム業界における不動の地位を持つ.2020年現在で11作が出ている.ドラゴンクエストIIIが発売された日は平日であったにもかかわらず、店舗前で1万人規模の行列を獲得し、現代のミニお蔭参りのような体をなした.発売は1988年であるから、当時熱狂した若者は2020年で壮年や中年、こどもや孫がいても無理はない.極端な場合を除き、現代の中高年以下はテレビゲームに親和的な世代であろう.今でもゲーム業界は破竹の勢いであるし、スマートフォンの普及、機器の性能向上がさらなるゲームの多様性をもたらした.ゲームの弊害が議論される理由でもある.

 もちろん影響をもたらしたのは「ドラゴンクエストシリーズ」だけではないが枚挙にいとまがない.「ファイナルファンタジーシリーズ」、「ゼルダの伝説シリーズ」、「テイルズシリーズ」、「聖剣伝説シリーズ」、「ファイアーエムブレムシリーズ」……もう十分だろう.老舗ゲームメーカーの出す看板タイトルである.これらの「剣と魔法」の世界観とゲームのお約束(可視化・数値化される能力、美しいヒロインの存在、「フラグ」という概念など)が広い世代に渡って共通の認識であろうことは指摘する必要がある.

 異世界系小説作品の展開はそれぞれで異なる.私が気に留めたのは、物語がどう終わるかである.正しくはどこで終わるかだ.異世界での事件が収束した後、作品によっては異世界から現実に帰還する.邯鄲夢の枕のように、ふと目が覚めて気がつくと、異世界の記憶はあるがその他自分も何も変化しない現実であったというオチがある.あるいは異世界を通じてやや現世に変化が生じ、異世界から現実に、かつて関係した人物が逆に現れ(逆転移)次の物語の展開を示唆する場合.さらには、異世界の体験から意義を見出し主人公自身の精神的充足、精神的成長が見られる場合.

 異世界から帰還しない場合がある.この例は少なくない.異世界での生活に満足し、現世にない絆を深めることができた場合、異世界人物と恋愛関係に至り世帯を儲ける.幸福を迎え完結してしまうことがある.他には何ら手がかりもなく現実に帰還できない(しない).この場合、脱出と超越は成功したことになるのかもしれない.しかし、いずれにせよ悲しい哉、これらはフィクションに過ぎない.浦島も盧生も、幾万とある異世界小説もすべては虚構である.

 

 私達は脱出できないのだろうか.

 

ここまで読んでくださってありがとうございました.もう少し続きます.