生き延びるための精神病理学

精神病理学を主体に綴る人文学系のブログです

結婚式を間近で見るということ

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 結婚式というのは凄まじいエネルギーを要するものです.つい最近、兄の結婚式に参列してきました.神前式を以て粛々と執り行われました.奈良時代神護景雲元年)から存在するという、とある神様の祝福が得られ、二人は無事夫婦として結ばれることができました.この神様は複数の神体の総称で、調べたところによると、大国主大神、多紀理姫味耜高彦根命の三神を祀っているようです.味耜高彦根命大国主大神と多紀理姫の子ということですから、家族経営のようなものでしょうか.縦二列で歩きながら、本殿に向かいます.スピーカーで繰り返し流れる越天楽の音色に乗って、巫女が舞い、神主が笛を吹く.新郎と新婦は紋付袴と白無垢を装い、親族は和装や洋装の正装で望む.実に現代的で微笑ましい風景でした.神酒が注がれ、少し口に含んで味を確かめると、足元に吹く冷たい風を体から暖めてくれるような気持ちがして、なんだか心地よい感じがしました.二人は誓いの言葉を仲良く読み上げ、結婚指輪をつけて無事に儀式が終わると今度は記念撮影.記念撮影はこの前後で何度も何度も行われるのですが、新郎新婦の嬉しそうな表情であることやいかに.これには、悠久の神々も恥じ入るような仲睦まじさで、私は視線をどこに向けてよいのかわからなくなってしまいました. 

 本殿に参る前には有名な橋を渡るのですが、そこは一大観光地でもあります.夫妻はホテルの仕組んだロンドンタクシーを送迎車に見立てて乗車し、19世紀のおえらいさんのよう.我々は国産中型バスに乗り込み、昔なつかしバス旅行を思い出します.車を降りると様々な人々が偶然にも拍手など祝福をしてくれて嬉しいやら恥ずかしいやら.私が当人であったらあらゆる眼差しを受けてそのまま消え入りたいくらいでした.ただそういうわけにはいかないので真面目な顔をして歩きました.滅多に見ない景色でしたので、少しキョロキョロしてしまいました.澄んだ清流と、朱の橋が対照を成す色彩は見ていて飽きないものでした.自然といってもほとんどが人工物ではありますが、昔から工夫された景観を用いて催される結婚式もなかなかに立派です.いつまでも少年のような新郎と凛として溌剌な新婦の晴れ舞台にふさわしい景勝であったといえましょう.

 結婚式の披露宴会場は1873年創業の老舗ホテルでした.こちらで会食が催され、仏式洋食のフルコースが提供されました.その味は正統派であろう、万人に好まれる味で、丁寧な下準備と作り手の技巧が容易に想像できました.せっかくですからメニューを紹介しましょう.乾杯の音頭は私が務めましたが、あまりうまくまとまりませんでした.謹んでお詫び申し上げます.

 オードブルは帆立貝のムースいくら添え.ムースの濃厚な味は食欲をそそります.キウイフルーツの爽やかなソースが魚介の臭みを消して、彩りも豊かにしているようでした.食事の途中で新郎新婦は来賓をよそにまた記念撮影へ席を外してしまいました.夕刻に絶好の場所があるとカメラマンがそそのかしたようです.しばらく帰ってきませんでした.

 スープは湯波の入ったコンソメスープ.市販のコンソメ顆粒を使う身としては、これ以上ない肉の香り引き立つ濃厚なスープという感じがしました.台湾で飲んだ牛肉スープによく似ています.琥珀色の透き通る液体は素朴ですが極めて熟練を要するであろう一品でした.

 魚料理は真鯛のソテー トマトソース.真鯛の肉がふわりと口のなかで壊れてゆきます.トマトソースが酸味と塩味を乗せて風味を奥深くしていく、皮はサクサクとしてすべてが計算づくといった品でした.パンが止まりません.夫婦は帰ってきました.

 口直しにシャーベットがやってきました.おそらくラズベリーでしょうか.口直しとはこういうものだと思わせるキリリとした冷たさと清涼感で次に運ばれてくるメイン料理への期待感を掻き立てます.

 肉料理は霧降高原牛フィレ肉のステーキ キノコのソース.しめじとしいたけをソテーし赤ワインで仕立てたソースという感じでしょう.シンプルな構成ながらもフィレ肉のとほどよく合わさり、美味しいの一言です.付け合せはブロッコリーとクレソン、柑橘の香り付けした人参のグラッセ.匠の業が光ります.奇をてらわず、王道を突き進んだレシピは老舗ホテルの伝統としてずっとあるのでしょう.

 デザートはムース・オ・ショコラ、メロン.チョコレートムースのしっとりとした風味.ベタつかず香り高い上品な甘さ、メロンも少し若い程よいシャキシャキ具合でいずれも嫌なところが微塵もない品でした.最後に珈琲を頂戴し、いよいよお開きかと思うと、突如プロジェクタとスクリーンが用意され、結婚式の総括を動画で振り返るものでした.こういう演出は数ある結婚式で観たことあるのですが、其の中に自分の兄が写っているとなんとも奇妙な感じがしました.奥さんとなる方はなかなかに綺麗に写って、それは見栄えがいいのです.その対となる相手が自分の兄ですから、まるで兄が女性と一緒に芝居をしているような.うまいたとえが思いつきませんが、難しい感覚でした.親父は嬉しそうな表情でした.向こうのご両親は涙を浮かべておりました.ほんの一コマが巧妙なアングルで撮影され、うまくぼかし、頃合いの良い速度に調整しているのですから、あらゆる動作が神がかって見えてしまうので、涙を流しても無理はないかもしれません.これも大国主大神の為せる業か.いいえ、ちょうど夏至の日ですからきっと夏の夜の夢なのでしょう.他にも新郎新婦の両親に花束と記念品贈呈の場面もありました.なんともお涙頂戴の場面です.妖精の仕業に決まっています

私にとってはこういう演出はどちらかというと苦手な方で、このような状況がややもすれば絶命してしまうに違いありません.ものすごい集中を要します.ですが、当人たちは至極幸福に包まれ、絶頂に差し掛かっているので無粋なことはしませんでしたし、唯一の兄がめでたく結ばれるのですから誠に結構なことです.披露宴が大団円に終わり、解散かと思いきや、さらに記念撮影が二人の中で行われました.あたりは日が沈んで真っ暗ですが、二人には夜の帳は降りずキラキラしていたのです.カメラの閃光、この日だけ許される気取ったポーズ、最後の最後までまばゆい光を放つ新たな夫婦の誕生を目の当たりにしました.我々はすでにエネルギーがそこをついてしまい、幻惑してクラクラしてきたので帰路につくことになりましたが、彼らはその煌めきを我々の前で絶やすことはありませんでした.さぁ、いつまでやっていたのでしょうね.

 

 厳しく窮屈な時代で執り行われた結婚式でしたが、実にめでたい一日でした.そのめでたい夫婦に新たな生命が誕生するというのですから、この先も楽しみです.私は変な叔父さんとなって、お子さんが反抗期を迎えたころに優しく出迎えるべく、修練を重ねていく所存です.